室町時代大井氏は東信一帯と西上州に広大な領地を持ち、その居館のあった岩村田は民家六千軒を有し、交易盛んな信濃第一の都市となっていました。しかし文明十六年(一四八四)村上軍の戦火に焼き尽くされ廃墟となってしまったといいます。
岩村田は佐久の要衝の地として戦国時代武田氏の支配下で復活してきます。本格的に復興するのは江戸時代になってからで、中山道の宿駅と決まり、新しい岩村田宿として発足し、発展してきました。元禄十六年(一七〇三)に内藤氏の岩村田藩が成立しますが、城下町が作られたのは幕末元治元年(一八六四)のことです。藤が城の築城とともに字上ノ城(現岩村田小学校内外)に作られました。